女子プロレス最大の功労者、全日本女子プロレスの松永高司会長こと会長死す…

7月11日16時56分に、全日本女子プロレスの松永高司会長が亡くなった。

私は松永会長のことを会長と呼んでいたが、その会長の功績はあまりにも偉大であり、「全日本女子プロレス」のみならず、女子プロレスというジャンルを作り上げた最大の功労者と言っていいだろう。
波瀾万丈の人生であり、本当の意味でプロの興行師だった。

昨年から具合が悪いのは知っていた。
だが、1ヶ月くらい経つと良くなったり、また悪くなったりの繰り返しだったので、また良くなるだろうと思っていた矢先の出来事でショックだ。

一部の方は知っている話なのだが、実は次回の“フタ・ミ塾”に会長を呼ぶつもりだった。
元気になれば開催する段取りで進めていたが、それも実現できずに終わり、もっと早く誘えば良かったと後悔している。

改めて会長を始めとする、松永四兄弟には大変お世話になった。
また、松永会長との思い出は沢山ありすぎて、ここでは語りきれない。
会長がいなければ、女子プロレスはできていないし、女子プロは“松永女子プロレス”そのものであった。

「T-1グランプリ」を開催したのも、会長がいたからこそ。
私と会長との関係については、リンク先または、2005年の7月に発売された「紙のプロレス」89号を読んでいただきたい(会長と二見の対談が8ページに渡って掲載されている。残念ながらT-1分は売切れ)。

T-1グランプリを検証!Vol.1 “伝説の大会”はこうして始まった!!

会長は長男と思われがちだが、実は三男。
会長の上に次男・健司さんがいる。
四男・国松氏は、忘れもしない第1回「T-1グランプリ」直前の05年8月17日に自殺。

五男・俊国氏は、無謀にもスキューバーダイビングをやって02年9月22日心不全で亡くなった。
下から順番というのが気になるが、ベッドの上で最期を迎えることができたのだから。

現状の女子プロレス業界の低迷には、誰よりも憂えていた。
特に、小学生が女子プロをやっていると伝えた時の、会長の寂しそうな顔は忘れられない。

会長は電話をくれる時は決まって甲高い声で、「もしもし!!!!!!」
と名前を言わないけど、一目瞭然で会長と分かる。

あと1回でいいから「もしもし!!!!!!」が聞きたかったが。

これで本当の意味で、女子プロレスそのものが幕を閉じたと思う。
心からご冥福をお祈り申し上げます。

最後に昨日は、ボブ矢沢氏(全女のメインレフェリー・健司さんの息子さん)と田口かほる氏(影かほる・井上貴子のマネージャーとして有名)とお話をした。

プライベートに関することなのでここでは書けないが、お別れ会をやりたいと伝え、前向きに検討するとのこと。
あと、健司さんは元気でした。

画像は、04年12月のHikaruのサイン会の模様。


【左から、健司さん、会長、Hikaru、二見】

やっぱり“T-1”は悪球打ち!by二見(野球ブログ)



明日には「紙の爆弾」の最新号について更新する予定。
それにしても最近のマット界は、訃報か不祥事か逮捕か、そんなのばっかり。

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コメント

女子プロレス最大の功労者、全日本女子プロレスの松永高司会長こと会長死す…

二見社長、ご無沙汰しています。
寂しいです。
もう一度、会長が作った焼きそばを食べたかったですね。

女子プロレス最大の功労者、全日本女子プロレスの松永高司会長こと会長死す…

上野のチーチャンさん
自分はほとんど後楽園ホールばかりで、地方やガレージマッチを観たことがないので、会長特製の焼きそばを食べたことがないんですよ。

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